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問題を残された主


申命記2章22〜23 2:22 彼らの先祖たちが主の道を守って歩んだように、彼らもそれを守って歩むかどうか、これらの国民によってイスラエルを試みるためである。」 2:23 こうして、主はこれらの国民をただちに追い出さないで、残しておき、ヨシュアの手に渡されなかったのである。 「問題を残された主」 主はヨシュアに、あなたが踏んだところを、ことごとにあなたに与える、と約束してくださいました。けれども主はあえて、 敵がイスラエルの間にいるようにさせて、イスラエルがヨシュアが主に拠り頼んだのと同じように、 彼ら自身も主に拠り頼んで歩んでほしいと願われているからです。  私たちは、何も問題が無くなくなり、生活に安定感が増して行く時、今よりも信仰生活が楽になり楽しくなると思いますが、ややもすると神様を求めなくなる懸念があります。そうなると霊的には刷新されず、 主により頼まなくなり堕落してしまう性質があると主はご存知だとおもいます。 だから私達がいつも父により頼んで行くように、主の配慮は有ると思います。

「主は、豊かな主であり、主が共に戦われる神様である」

主を求めて行くとき「主は、豊かな主であり、主が共に戦われる神様である」という事を生活で体験していくようになります。そして体験が頭の信仰から、また心の信仰へと変わってゆき、イエスさまとの愛の関係をますます強くしていくことができるのです。  ですから、神はイスラエルにも同じようにしたいと願われたのです。彼らに、ご自分を知ってほしい、個人的な関係を持ってほしい 主が共に戦われることをイスラエルに知ってもらいたいとあえて願われています。そこで、彼らを試みられて、彼らが主を求めるようにされたのです。 主からの試みは、神の愛の現われであり、祝福なのです。

「12:5 そして、あなたがたに向かって子どもに対するように語られたこの勧めを忘れています。「わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。主に責められて弱り果ててはならない。 12:6 主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。」 12:7 訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。 12:8 もしあなたがたが、だれでも受ける懲らしめを受けていないとすれば、私生子であって、ほんとうの子ではないのです。」ヘブル11:5~8

決して神様は私達を見捨てないお方です。自分の命を惜しまないで与えた神様です。祝福を与えたいと願っていているのです。愛されてないと思わないで歩みましょう。


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