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2021年5月1日礼拝メッセージ🌊主よ私たちを助けてください💧              (マタイによる福音書8章23~27節) 



8:23 イエスが舟にお乗


りになると、弟子たちも従った。

8:24 すると、見よ、湖に大暴風が起こって、舟は大波をかぶった。ところが、イエスは眠っておられた。

8:25 弟子たちはイエス


のみもとに来て、イエスを起こして言った。「主よ。助けてください。私たちはおぼれそうです。」

8:26 イエスは言われた。「なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちだ。」それから、起き上がって、風と湖をしかりつけられると、大なぎになった。

8:27 人々は驚いてこう言った。「風や湖までが言うことをきくとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。」



サンデーとジョー 

がメキシコ湾でヨット・セーリングをしている最中、予期しない嵐に襲われました。突風が吹き荒れ、ヨットは湾から海外へと押し出されてしまったのです。しばらくして嵐は止みましたが、舵を失った船は2日間ジリジリと照り付ける太陽を遮るものもない海の上を漂流してしまいました。このままでは自分たちの命が危ない、そう思った彼は必死に祈りましたが、どこからも助けは来ません。サンデーはもう一度お祈りをしました。

「主よあなただけが頼りです。どうぞお助け下さい。」

彼女が祈りを終えて目を上げると、遠くから十字架がこちらに向かってくるのが見えました。十字架?幻覚でしょうか?もう一度目を凝らしてみると確かに十字架がこちらに地数いてくるように見えます。彼女は大急ぎで夫のジョーを起こして十字架の方を指さしました。彼も確かに十字架がこちらに向かってくるのを見たのです。徐々に近づいてくると、十字架は大きなヨットのマストの先端でした。ヨットは確実に近づいています。彼らは壊れたヨットの上で手を大きく振って助けを求めました。


しばらくして彼らは大きなヨットの甲板に移りました。サンデーが「あなたたちが私達を見つけるなんて信じられない。もう絶対助からないと思っていた!と言った時の返事はこれが偶然の出来事でないことを2人に理解させたのです。「自分あっちは数時間後自動操縦装


置でセーリングを楽しんでいたけど・・・。たった今気が付いたら、予定の航路から10マイル以上もそれているんだ。自動操縦装置が故障しているわけでもないのに。・・・」




「主よ、助けてください。 あなたの人生がどんなに順調でも、思いがけない嵐が襲いかかることがあります。あなたはあまりの突然さに圧倒されてしまうかもしれません。大波があなた飲み込み、大浪に吹き飛ばされそうになるでしょう。より くみ出しても出しても波によっての中はあっという間に水浸しにょう。 くみ出しても、くみ出しても波によって舟の中はあっという間に水浸しに なってしまいます。大風によって舟は航路を外れてしまうかもしれません。 あなたは舵を失い、助かる希望もなくし、運命の扉がすべて閉じられたように感じるでしょう。


人生に襲いかかる嵐から誰も逃れることはできません。 あなたがどんなにであり、正しい道を歩んでいても、嵐は必ずあなたを見つけだします。ですからそこで問題なのは嵐に出会うか出会わないかでなくどうやって嵐に対応するかです。

その答えを聖書の中に見いだすことができます。 イエスの伝道が佳境に差しか かっていたある日、イエスと弟子たちは群衆を離れ、舟でガリラヤ


湖を渡ってい ました。そのとき突然、嵐が襲ってきたのです。マタイがその光景を記録しています。

(マタイ8:23-25)。

イエスが舟に乗り込まれると、弟子たちも従った。そのとき、湖に激しい嵐が 起こり、舟は波にのまれそうになった。イエスは眠っておられた。弟子たちは近 寄って起こし、「主よ、助けてください。 おぼれそうです」と言った


この嵐から助かるには、自分たちの力だけではどうしようもないと悟り、自分たちで何とかしようとはせず、イエスの所に行ったのです。


主よ、わたしたちを助けてください


①弟子たちはイエスにたった三つの言葉を言いました。

「主よ」「わたしたちを」 「助けてください」。


緊迫した状況に置かれた弟子たちには救ってほしい理由を悠長 に説明している時間などないのです。 イエスに対して自分たちがさも深遠な考え を持っていることを誇示する言葉をあれこれ用いる場合でもありません。 この状況での祈りは弓矢が的に向かうように、問題の中心に向かって簡潔で確でなければならないのです。


弟子たちは嵐の状況を細々と説明していません。というよりも嵐だということ さえ言い忘れています。 しかしイエスはすべてをご存知でした。どう


やって救われるかも聞いてい

ません。 彼らにはどうすることもできないことです。 弟子たちはの上げ降ろし、舵をコントロールするためにイエスの助けを必要としたのではありません。 彼らは今の状況を何とか乗り越えるためにイエスを必要としたのです。 ですから彼らは「主よ、わたしたちを助けてください」と祈ったのです

(マタイ8:26-27)。

イエスは言われた。 「なぜ怖がるのか 信仰薄い者たちよ」そして、起き上 がって風と湖とをお叱りになると、すっかり凪になった。 人々は驚いて、「いっ たい、この方はどういう方なのだろう。 風や湖さえも従うではないか」と言った


②嵐を避けることはできない

この物語から多くのことを学ぶことができます。


嵐は悪人だけを襲うのではありません。 彼らは酒を飲み、ギャンブルをし ながら舟遊びをしていた訳ではありません。 悪事を働きに対岸を目指したの でも、銀行強盗をして逃亡しようとしたのでも、海賊になって他の舟を襲お うとしたのでもありません。 彼らはイエス・キリストの弟子たちなのです。 あなたも人生の歩みの中で嵐に遭遇するでしょう。 もしかしたら極度の自 求められるというかもしれません。 「前進を阻む壁」という嵐かもしれません。前進をはぶむ壁という嵐かもしれません。それ以外の嵐かもしれませんが、必ず嵐があなたを襲うでしょう 聖書に記録されている信仰の偉人たちもその例から漏れていません。 アダムとエバは反逆児を持ち、 ノアには大洪水の後の個人的な失敗があり、ヨセフ は兄弟に裏切られて奴隷として売られた上に、理不尽にも主人によって牢に 投げ込まれ、モーセは激情の余り殺人を犯し、その後に不平不満ばかり言う 群衆を導くという責任を負


わされました。 ダビデは助けたはずの王から追わ れ、ネヘミヤは強大な敵に直面し、パウロは回心した後に鞭打たれ、投獄されるという苦難に何回も見舞われました。


③イエスに従うことで嵐に襲われることがある

マタイ8-25

 「~私たちはおぼれそうです。」

Ⅱコリント11・23~27


弟子たちはヨナのように神に逆らって逃げようとして舟に乗っていたので はありません。釣りを楽しむために湖に出たのでもありません。 彼らはただ イエスに従って舟に乗っていたのです。 なによりもまずイエスが舟に乗りこみました。それに従っただけなのです。往々にしてイエスに従えば直ちに幸せと平安が訪れると誤解されがちです。 もちろんキリストに従う者はやがて涙も苦しみも死も病もない永遠の命へと導かれ、キリストと共に幸せな日々を送るようになります。しかし、そ れまでは必ずしも平坦ではない日々を過ごさなければならないのです。



④嵐は信仰を試す

申命記13-3

「13:3 その預言者、夢見る者のことばに従ってはならない。あなたがたの神、主は、あなたがたが心を尽くし、精神を尽くして、ほんとうに、あなたがたの神、主を愛するかどうかを知るために、あなたがたを試みておられるからである。」

嵐を静める前にイエスは弟子たちに、恐れるのは信仰がないからであると 指摘しました。


◆信仰に不可欠なのは神を喜ばせることです。

ヘブライ11-6

「11:6 信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです

◆信仰は世に打ち勝ちます

ローマ8章37

「8:37 しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。」

(ヨハネ4-4)。

まれに嵐に襲われると神は私を愛しているのだろうかと疑ってしまうこと があります。この本を書きながら今までに私を襲った幾つかの嵐のことに思 いを巡らしています。 思い出されるのは自分が嵐に飲み込まれた姿と、 神に 対してつぶやいた「神よ、あなたは私を愛していると思っていたのに

という言葉ばかりです。 神が私を愛しているなら、 神は私を嵐から守ってくださると考えていたの です。 しかし弟子たちの体験はそうではない


ことを明らかにしています。 イ エスは弟子たちのことをとても愛していましたが、彼らが命の危機をも覚えるほどの嵐に襲われることを許されたのです。神は御子イエスを愛されておられますが、その御子イエスすら嵐に飲み込まれそうな舟の中におられまし


⑤イエスは私たちと共に嵐の中を歩んでくださる

申命記31-8

「主御自身があなたに先立って行き,主御自身があなたと共におられる。主はあなたを見放すことも,見捨てられることもない。恐れてはならない。おののいてはならない。」


イエスはその舟のただ中におられました。 弟子たちだけで舟に乗って嵐に 遭遇した時も、イエスは水の上を歩いて弟子たちの元に来られました。 もし イエスが私たちと共に嵐の中を歩まれないなら、嵐を恐れるのは当然です。でもイエスは必ず私たちと共におられます。


⑥イエスは嵐を静めることがおできになる

イエス様は不可能なことはない事を信じる。

マタイ19:26



ある時、イエスは、弟子たちに「人間にとって出来ないことでも、神にとって不可能はない」とおっしゃいました。


どんな大嵐、大風、大波でもイエスにとって大き過ぎることはありません。 だからイエスは大嵐の最中にあっても全く恐れることなく寝ておられま した。 そしてイエスは波と嵐をお言葉だけで辞められました。

これからあなたがどのような嵐に出会うかわかりません。 失業、大病、 愛 する人を失う、 子供が事故を起こす、子供が問題を起こして逮捕される、 生活苦、離婚の危機 イエスの中で弟子と共におられたように、あなたがどのような状況にあってもイエスはおられます。 直ぐに問題の解決が えられないかもしれませんし、解決には痛みを伴うかもしれません。 しかし イエスはあなたに一番良い時期と方法をご存知であり、それを必ず与えてくださいます。 あなたがイエスを信じ委ねるなら 。


⑦律法の下でなく、(律法の要求の下にある)恵みの下でイエスに願い求めなければならない

コリント2 3章6節

「3:6 神は私たちに、新しい契約に仕える者となる資格をくださいました。文字に仕える者ではなく、御霊に仕える者です。文字は殺し、御霊は生かすからです。」


弟子たちは舟が転覆し、漂流し、湖の底に沈むのを待っていませんでした。 彼らは手遅れになる前にイエスの所に行き、 嵐からの救いを願い求めたので す。 イエスもそうするように繰り返し教えていますができなかった。 神のすべての働きは祈りを通して行われた。 以下の聖句をよく 味わってほしい。


🔹マタイの7章11節

求めなさい。 そうすれば、与えられる

あなたがたの天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない


🔹ヨハネ14-14

わたしの名によって何かを願うならば、わたしがかなえてあげよう


あなたがたがわたし


につながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい。 そうすればかなえられる


🔹ヨハネ15-7

今までは、あなたがたはわたしの名によっては何も願わなかった。願いなさい。


🔹ヨハネ16-24

そうすれば与えられ、あなたがたは喜びで満たされる

🔹ヤコブ1-5

あなたがたの中で知恵の欠けている人がいれば、だれにでも惜しみなくと がめたてしないでお与えになる神に願いなさい。 そうすれば、与えられます


ヤコブ4-2


得られないのは、願い求めないからですもしあなたが嵐のただ中にいるなら、恐れず、躊躇せずに神に救いを願い求めてください。



・祈りは悪魔に打ち勝つ最も強力な武器である (ルカ22の32、ヤコブ4-7)


・祈りは失われた魂を救う (ルカ8-3)


・祈り求めれば知恵を得る(ヤコブ1-5)


・祈りは迷いから罪人を引き戻す(ヤコブ5:16-20)


・祈りによって義人は強められる(ユダ20節マタイ26:41)


・祈りによって宣教の働き手は得られる (マタイ9-38)


・信仰による祈りは病んでいる人を救う (ヤコブ5:13~15)


・祈りは不可能を可能にする(マルコ11:23-24)


神があなたの人生に望んでおられることを一言で表すならそれは「祈り」です


「わたしたちにも祈り 教えてください」という弟子たちの祈りに対し、イエスは今日でも多くの人々によって唱えられる祈りを教えられます。祈っていきましょう。御霊が喜んで共に働きます。



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