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恐れるな語り続けなさい

「ある夜、主は幻によってパウロに言われた。「恐れないで語り続けなさい。黙っていてはいけない。わたしがあなたと共にいるので、あなたを襲って危害を加える者はいない。この町には、わたしの民がたくさんいるのだから。」使徒の働き18:9-10


パウロはアテネにいましたが、次にコリントに来ました。アテネから約80㌔西にある町です。アテネは哲学者らがいたところです。コリントはまるで性格が違います。やりたい放題、道徳的に乱れていた町です。非常に大きな町で、当時の人口は60万人いたのではないかと言われています。

コリントの町の特徴は、それが、地峡と呼ばれるところにあることです。ギリシアは、南はペロポネソスという半島になっています。半島といってもほとんど島のようになっていて、というのは非常に細長い陸地でわずかにつながっていたからです。

東がエーゲ海、西がイオニア海に挟まれていて、その幅はわずか6㌔です。そこで東から西、西から東の貿易が西にローマがあるので、盛んに行われていました。

そこで、コリントはローマ時代には貿易で大いに栄えて、アカイア州の首都になりました。水夫たちがここに来ると、思う存分遊ぶところとなり、その相手をする女たちがいたということになります。それが、偶像礼拝と密接につながっていました。女神アフロディーテの神殿がありました。アフロディーテは愛、美、性の神で、カナンのアシュタロテにあたります。女祭司たちが、1000人もいましたが、売春婦です。売春して儲けを神殿の運営にあてがっていました。「コリント化する」という言葉が当時使われていて、「道徳的に退廃する」という意味を表していました。

私たちもそういう中で宣教の働きをするというとです。

では、何に恐れ、どのように対処するのでしょうか。



1,敵からの恐れ 《弱いものを強くしてくださる神と共に戦う》

イザヤ41:10-11「恐れるな、わたしはあなたと共にいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。見よ、あなたに向かっていきり立つものはみな恥を見て辱められ、あなたと争う者たちは無いもののようになって滅びる。」


ディート‣エマンはドイツ軍が1940年にオランダに侵攻するまでは、家族や友人と楽しく過ごし、仕事をしたり、恋をしたりという普通の女性でした。ナチスに抵抗するようにと神が命じられたと感じて行動しました。それは、命の危険を冒してでもユダヤ人や他の抑圧された人々の隠れ家を探すことでした。この年若い内気な女性は、神の勇士となったのです。

聖書にはディートのように以外と思える人を用いられる神の物語が数多くあります。

ギデオンもその一人です。イスラエルを制圧していたミデアン人を恐れて隠れて脱穀していましたが、神のみ使いは、「勇士よ、Yスがあなたといっしょにおられる」(士6:12)と召し、彼と共にいて知恵と力を与え、残虐なミデアン人を倒されたのです。

弱いけれども、神が用いられた聖書の登場人物を挙げてください。居心地の良い場所から出て、神に仕えるように促されました。「神よ、私の劣等感とは別の視点で私を見ていて下さり感謝します。神に愛され、神にお仕えできると自覚させてください」と祈りましょう。



2,艱難、人間関係、問題からの恐れ 《神を信じ神の力を受けるとき解決が与えられる》

ヨハネ16:33

「あなたがたは世にあっては艱難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです」


人生で時々大きな問題や障害に突き当たります。家庭、仕事、人間関係の問題と沢山の問題が同時に起こっていやになることもあります。一見解けそうにない困難な状況、人間の目から見るととても解決できないと思うことなど絡み合ったいくつかの問題が同時に起こる時、どうしますか。ある人は失望し、問題を解決することをあきらまていまいます。またある人は、あくまで自分の力でなんとかしようと一生懸命になります。私もそのような時がありました。自分の力で解決できるときはいいのですが、そのうち生き詰まり、うまくいかなくなることもありました。

しかし、聖書の中でキリストは「勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」と言っています。

どんな困難であっても、私たちが彼を信じ、彼の力を受けるなら、その困難に立ち向かう勇気と知恵が与えられるのです。

また、不思議に解決の糸口が見つかり、もつれた問題は解き放され、自分でも無理と思うようなことも解決します。何故か、それは、神様には何でもできないことはないからです。


3,人の顔を恐れ、自分の不足を恐れる

         《主にすべてをゆだね明け渡すとき主が責任をとって下さる》

エレミヤ書1:8「彼らの顔を恐れるな。わたしがあなたと共にいて、あなたを救い出すからだー主のことばー」


預言者エレミヤは預言者としての召使しを神様からもらったときに「ああ、神、主よご覧ください。私はまだ若くてどう語ってよいかわかりません。と自分の不足を見て言いました。

しかし、主が私たちに要求されているのは、「わたしに、あなたの全てを委ねよ」です。通りたくない境遇も主にあって通り、聞きたくない言葉も主のものだと信じて聞き、すべてを明け渡すのです。そうすれば主ご自身が責任をとってくださいます。主が確実に私たちを神のみこころにかう者に変えてくださいます。








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